なんぶの里人 Vol.1

1

2 20 1 I 14 市街地から車を 分程走らせると、景色は街並みから緑豊かな山間に。 〝南部町〟とはいうものの県西部に位置するこの町は、 自然に囲まれた人口 万人前後ののどかな町です。 法勝寺川沿い続く桜並木や、初夏を彩る金田川の蛍たち。 四季折々の豊かな自然を感じながら人々が暮らす、現代に残る「里山」。 環境省の生物多様性保全上重要な里地里山にも選定され、 先祖の代から守りつづけた農地や山林では 人の営みとともにさまざまな動植物たちが生きています。 この町のは皆〝里人〟。 のびのびと子育てする 一家、趣味に生きる豊かな里人、 自然そばで働く里人……十十色な里山暮らしを探りに ターンで移住してきた2人が里人 組へインタビュー。 南部町の個性豊かな里人たちをのぞいてみませんか? 鳥取県南部町

3 も く じ 14 15 16 17 18 19 4 20 22 23 4 U 4 6 I 7 I 8 孫 9 10 11 30 90 12 13 里 人 取 材 人 2018年に南部町の地域おこし協力隊に就任し、南部町に移住。 幅田 舞 大阪出身 大学時代に訪れた南部町で里山の美しさに惹かれ、2017年に 南部町に移住。 前山 寛文 福岡出身 角田さん 人と繋がる作品づくり。人形劇・布絵・粘土細工作家 服部さん 里山の空気も織り込む機織り・染織作家 濱本さん エネルギッシュな南部町のお母さん 松本さん イタリア野菜に真っ赤なバイク! 山田さん 夫婦 めだかに魅せられた仲良し夫婦 パー子さん ・ルーンさん 一家 マレーシア人と日本人夫婦の 人家族 里山暮らしのお手伝い 南部町マップ おわりに 瀧山さん 一家 東京から ターン・古民家カフェと焙煎所を営む 人家族 立元さん 大阪から ターン・ネギ農家で働く地域おこし協力隊 井上さん 広島から ターン・ゲストハウスの女将 宮嵜さん 一家 大阪から ターン・5人家族のお父さんはドラマー! 移住コラム 「田舎暮らし、ほんとのところ。」 井田さん 合鴨農法に有機農法、チャレンジャーな米農家 高木さん 無農薬農家 年以上! 才を超えても現役農家夫婦 内田さん トラクターや農機に魅せられ、夢を叶えた農業少年 奥山さん 森の中で牛を放し飼いするワイルドな牛農家 移住 作家 農業 町民

4 30 移住 NANBU no SATOBITO & 風通しの良い縁側と玄関横にある小屋のよ うなキッチン、そして入り口を入ると顔を 見せる大きな焙煎機――。高校卒業後東京 での生活を経て、歳の時に南部町にUター ン。焼き菓子と珈琲豆焙煎を主軸に、子育 てをしながら自営業を営むお2人の暮らし。 古民家カフェ 珈琲焙煎所 瀧た き や ま 山さん 一家 佳 か よ 世さん・雅 まさと 人さん・大 たい が 河くん・樹 いぶき 吹くん

5 café 26 9chaiR café 10 Minato café 七草 西伯郡南部町鴨部 82 TEL. 080-4673-6370 OPEN 水曜 13:00〜17:00 カフェ営業 木曜〜土曜 11:30〜17:00 通常営業 第1・第3日曜 8:00〜11:00 モーニング営業 CLOSE 日曜〜火曜 WEB https://nana-kusa.jp 0 からコーヒー研究所 西伯郡南部町鴨部 82 TEL. 090-4105-4158 OPEN 10:30〜17:00 CLOSE 不定休 WEB https://zerocoffee.jp Text : Mai Habata るものは彩にあふれ、素材の味を知る新しい発見 や驚きとともに安心感に包まれている。 「人が集い、来た人がみんな笑顔になって帰って いく。そんな場所になったらいいな。」店のキッ チンからのぞく佳世さんの笑顔は、まさに来る人 を元気にする太陽のようだ。 『0からコーヒー研究所』が できるまで 一方、雅人さんが珈琲豆の焙煎を始めたのは、 2人が東京から鳥取へ戻ってきた頃。東京では設 備・配管の仕事をしていた雅人さん。休日にはカ フェ巡りや、ご近所の焙煎屋さんにオリジナルの ブレンドを発注していたほど普段から自分で珈琲 を淹れることは日常だった。 瀧山さん夫妻が鳥取に戻って来た当時は、珈琲 豆の焙煎屋はあまりなく、それなら自分で豆を煎 ろうと趣味で始めたのが焙煎のきかけ。そして 佳世さんが七草始めようになり、自家焙煎し 『 七草』ができるまで 中学生の頃からお菓子作りが好きだったという 佳世さん。東京ではバイトをしながら製菓学校に 通い、 歳の時に縁あって世田谷の小さなアパー トで『 』というカフェを 営業し始めた。 カフェを始めて4年程経った頃、店の更新時期と その先のことを考えるタイミングが重なり、雅人 さんの実家のある南部町に引っ越した。 1人目のお子さんを出産後、現在店舗兼自宅と なっている場所で『 七草』を始め今に至る。 現在七草では、佳世さんの作る季節の果物を使っ たマフィンやクッキーなどの焼き菓子、玄米揚げ おむすびや不定期で地元有機野菜たっぷり使っ たお野菜サンドや丼などが楽しめる。もちろん雅 人さんの焙煎する珈琲も提供して いる。 実は七草では、ほとんどのメ ニューで乳・卵を使用していない。 東京から南部町に引 っ越す前 に、カナダでワーキングホリデー をした佳世さんは、ベジタリアン やビーガンの人たちがたくさんい る異文化に出会い、自然のサイク ルと近い暮らをするカナダでの 体験に強く影響を受けたそうだ。 また、1人目のお子さんが小さい 頃アレルギーが強かったことや、 地元有機野菜農家さんとの出会い をきっかけに、野菜そのものが持 つ本来の美味しさに感動したこと も野菜のみを使ったメニューを提 供するようになった 大きなきっか け。佳世さん手から作り出され た珈琲豆を店やイベントなどでも販売するように なった。 日中は仕事に出て夜に豆の焙煎 をするという ハードな生活を続けていた雅人さんだが、現在は 仕事を辞め焙煎屋として独立した。そのきっかけ になったのが、一度に ㎏もの豆が焙煎できる大 きな焙煎機がやってきたこと。それまでは七草と して豆を販売していた雅人さんは、独立に伴い 『0 からコーヒー研究所』という屋号で焙煎屋とて 新しいスタート地点に立った。現在焙煎した豆は 町内や米子市内の飲食店へ卸す他、週末は境港に あるゲストハウス『宿屋 』にご自身が出 向き珈琲を淹れている。 「今までの縁や人、地域との繋がりも大事にしな がら、後は県外にも販売枠を広げることも視野 に入れながら、焙煎屋とて頑張っていきたい。」 と話す雅人さん。 佳世さんの焼き菓子と雅人さんの珈琲、そして 2人の場所が、今日も南部町の里山暮らしの中に ゆっくりじっくり溶け込で、町の人町を訪れ た人を笑顔にする。

6 1 10 20 30 1 30 I 移住 NANBU no SATOBITO Text = Hirofumi Maeyama きっかけは農業研修から 鳥取県立農業大学校で4ヶ月の農 業研修プロ グラム『アグリチャレンジ研修』を 受けたこと がきっかけで、地域おこし協力隊の 制度につい て知り、とんとん 拍子で南部町に 移住するこ とが決まった立 元さん。大阪出身 にも関わら ず、幼い頃から自然に囲まれているのが好きで、 自分の肌に合っているのも田舎の環境だという。 中学や高校では生物や自然に関して は熱中して 勉強していたそうだ。そんな感覚を持った立元さ んだからこそ、自然と常に触れ合っていられる仕 事である農業に興味を持ったのも不 思議ではな い。南部町に来て不便なことがある か問いかけ ると、「大阪よりも住みやすい。車とネット環境 さえあれば南部町は大丈夫。全く不便ではない。」 と語った。 人との繋がりが大事 彼から農業の話を聞いていると、しきりに言っ ていた言葉。「農業は一人じゃできな い。人と の繋がりが鍵になる。」 農業を始めるにあたって、 まずは土地、そしてたくさんの技術 習得や機械 設備が必要になってくる。その時に 活きてくる のが〝繋がり〟だそうだ。 「農業は困難だらけ。困った時に手 を貸してく れたり、相談に乗ってくれたりす 人がいると とても助かる。」 それを体現するかのように、農業関 係の繋が りはもちろんのこと、地域のお祭り やイベント などに積極的に参加をして、繋がり を作ってい るそうだ。 将来は自分で農業をやること 立元さんに夢を尋ねると、 「自分で農業をし、ゆくゆくは会社も作りたい。 そのために、地域おこし協力隊の任期中にはしっ かり下地づくりをしたい。」と語ってくれた。 具 体的には、お金を貯めることや技術習得 、そして先 ほども言ってい繋がりづ くり。彼には将来を見据 えたしっかりとしたプランがある。 「今は部分的な作業で学ばせてもらっている。こ の任期で成し遂げたいのは から まで全部自分 で作ってみたい。」 それを横で聞いていた若社長さんは、 「鳥取農業という産業に目をつ けてやるのはとて も面白いことだと思う。土地が広いし、人の繋が りの面でも田舎が有利。農業は結局一人ではでき ない。試行錯誤しなら農業というものを学んで いって欲しい。」 と彼にエールを送った。 〜 代の若い社員が半数以上で、活気のある 株式会社 『福成農園』。そんな中で、 次産業を 盛り上げようと、楽しみながらも奮闘している立 元さんの今後がとても楽しみある。 平成 年から地域おこし協力隊として南部町 に移住した、町の若者の人口率を上げる貴重 な存在。ネギを中心に、野菜を栽培する株式 会社『福成農園』で、就農の夢に向かって日々 農業に勤しんでいる。 就農の夢に向かって大阪から ターン! 立た ち も と 元 隆た か ひ ろ 裕さん

7 2 1 1 移住 NANBU no SATOBITO 小さなカフェとお宿のある寄り合い場『てま里』 西伯郡南部町天萬 897 TEL.0859-21-1527 OPEN 11:00〜21:00 CLOSE 水曜 ※日程・時間はご相談に応じます。 WEB https://temari.tottori.jp Text = Mai Habata 出会いと環境が未来を作る 「なぜゲストハウス?」 という質問をすると、 話し始めたのは〝教育〟の話。 ゲストハウスと 教育がどこで繋がっているのかピン と来ないか もしれないけれど、これは彼女にと って欠くこ とのできないキーワード。 元々広島県出身の井上さんは、東京 の大学に 進学し日本語教師と英語教師の免許を取得。 卒業後は広島F Mでイベント企画などの仕事 をしていた。その後、自分の方向性を 考えゲス トハウスの運営を目指 すことになったのだが その経緯には自身の大学時代の体験 が大いに影 響しているそうだ。 ある時大学で将来何になりたいか? という話 になった時のこと。ある子が「教授になりた」 と答えた。その子の祖父が実際に教 授であるこ とを知った時、〝周りの環境〟がいかに選択肢を 作り出すかということを井上さん 痛感したそ うだ。 また、旅行好きで旅先ではよくゲストハウスに 泊まっていた井上さん。一人旅でも そこにいけ ば誰かに出会え、人と繋がることが き、自分 の世界も広がる場所 そんな〝ゲストハウス〟で子どもに 英会話を 教えることができれば、子ども達が いろんな人 と出会い繋がれ る場所、機会を与 えることが できるのではないかと 思い、「ゲストハウスで 英会話教室をやりた!」と考えるよ うになっ た。しかし実際に子どもに英語を教え たことが なかった井上さんは、ま ず Teach for Japan というNPO法人を通して埼玉県の 中学校で実際に教壇に立ち経験を 積むことに した。 年間の任期を終えた後、鳥取に移住していた 友人がきっかけで、南部町でゲストハウスを始め たらどうかという話があることを知り、地域おこ し協力隊として着任した。 形になった夢とこれから オープンまでの 年間は、地域の人に自分の名 前を知ってもらうことか始まった。新しいこと を新しく来た人が始めることは、容易ではない。 いろんな壁にぶつかりながらも本当に〝形〟 になっ た夢。 今では『てま里』は、地域の方がふらっと立ち 寄ったり、ママ会が開かれたり、特に休日に小 学生から自転車で遊びに来る高校生まで、幅広い 年代の人たちの笑い声が絶えない。 もちろん、英会話教室も計画通り始まっている。 「宿泊客の集客など課題はもちろんあけれど、 これから『てま里』を運営していく中で、地域の 子ども達が好きなことを見つけたり、南部町のこ とを誇りに思ったりするきっかけを創る場所作り がしたい。」と話す。 地域おこし協力隊として着任し 年間の準備 期間を経て、地域住民一緒に、食べて泊ま れる寄り合い場『てま里』を 2019 月4 月にオープン。ゲストハウスの運営を担当し、 地域住民と旅人の出会いの場を作っいる。 住民、子ども、旅人をつなぐゲストハウスを運営 井い の う え 上 可か な こ 奈子さん

8 移住 NANBU no SATOBITO お父さんみたいに 叩けるかな? ♫ ♫ ♩ ♩ ♪ ♪ お父さんはドラマー ! 宮み や ざ き 嵜さん 一家 祖母の家に移り住む孫ターン。 安心感がありつつも、戸惑い や驚きを経て今至る生活と、 新天地で繋がった縁。 貴 たかよし 良さん・咲 さ き こ 紀子さん・海 あま ね 寧くん・偉 いお り 絃くん 祖母 冨 とみなが 永武 たけ こ 子さん 孫ターン 出会いは大阪だったというお2人。ご主人の貴 良さんは高知県出身で、高校卒業後関西に就職。 仕事をしながら音楽活動をする生活を9年ほど続 けていたが、なかなか思うようなバランスで両立 ができず、仕事を辞めてアルバイトをしながら音 楽活動をしていたそう。一方、伯耆町出身の咲紀 子さんも高校卒業後、大阪に進学。保育士を目指 し専門学校に通っ 。同じバイト先といこ とがきっかけで付き合いだしたお2人はその後結 婚し、第1子である海 あまね 寧くんが誕生した。 子育て環境や生活環境を考え、ゆくゆくはどち らかの両親の近くに住むほうが安心だと以前か 話していた貴良さんと咲紀子さんは、2017年 に鳥取に移住。 鳥取を選んだ1番の理由は咲紀子さんの実家が 近いということもあるが、ひとり娘の咲紀子さん のお母さんは伯耆町に嫁いでいるため、祖母の武 子さんが1人で暮らす南部町の家を継ぐ人がおら ず、武子さんも高齢になってきたという理由から、 南部町に引っ越して一緒に暮らすことを決めそ うだ。

9 40 移住 NANBU no SATOBITO 田舎では深い人間関係を築き、近 所との付き合いを大切に。必要な時 は助け合いながら暮らしています。 「田舎でひっそりと人付き合いなく 暮らしたい」という方は田舎暮らし には向きません。地域の行事やお祭 りに積極的に関わっていくことをオ ススメします。積極的に関わること で、地域に住む人との距離が近くな り、自分の住む地域をより知ること ができます。 田舎の生活には自動車が必須。路 線バスは本数が少なく、自動車での 移動が大半となります。逆に、車が あれば都会と違って渋滞のストレス もなし! ほとんどの駐車場が無料で、 海や山、温泉が車で約 30 分圏内に あり、マリンスポーツや釣り、スキー やゴルフ、登山やキャンプなどを手 軽に楽しめます。冬はスタッドレス タイヤが必要になります。車関係の 準備を忘れずに。 自然が近いということは動植物と も近いということ。庭や敷地の草刈 りなどは自分で管理しなければなり ません。また地域の清掃活動もあり、 自分たちの住んでいる地域はみんな で協力して管理しています。山や畑、 田んぼが近いので害虫(ムカデ・ア リなど)が家の中に侵入してくるこ とがあります。あらかじめ防虫剤を 設置するなど準備が必要です。 自然の中で暮らす ということ。 車があれば 都会より便利 !? 地域のお付き合いを 大切に。 田舎暮らし、ほんとのところ。 移住コラム Text = Mai Habata 新しい生活 引っ越しは、祖母の家に住むということで家探 しや地域に馴染むという部分で安心感があったと 話すお2人だが、もちろん戸惑いや驚きもあった。 集落の集まりごとなどが比較的多く、休みの日 は何かしら地域活動があるのが少し大変に感じる 部分があったり、近所の人はみんな知り合 家 の鍵も開いていたりと、都会と比べて人との距離 が近い分初めは慣れないことも多かったそうだ。 子育てにおいても、保育園で大阪弁をしゃべる 海寧くんのイントネーションに周りの子反応し、 少し精神的に苦労することがあったり小学校に 入り学校までの距離が歩いて 分以上かかること には驚いたりもしたそう。ただ、集落行事は〝み んなで町を守っていこう〟という地域の姿。それ はとても良いことだと思うし、人との近さも慣れ れば安心感変わる。子どもの学校生活も落ち着 いてきて、親としても安心できるようになってき たと話す。 出会いと音楽 音楽を辞めて南部町に移住して きた貴良さん だが、 2年ほど前から町内に住むメンバーで『月 光』というバンドを組んでいて、町内の音楽ライ ブに出演したり、米子駅前の立ち飲み屋で定期的 に演奏したりしている。実はこの『月光』のメン バーは全員町内在住。音楽活動の傍ら、米子で立 ち飲み屋を営む三原わるさんに集落お祭りで 出会ったのがきっかけだった。意気投合して結成 した『月光』に加わったのが、ベースの昭 しょうりん 倫さん。 なんと隣の集落にある大安寺というお寺の住職だ。 バンドの練習は音楽スタジオの他、大安寺でも やっているというのもまた斬新。 「移住して良い出会いがあり、趣味としてま音 楽をできてとても良かった。」と貴良さんは話す。 「3年経ってようやく色々な生活が落ち着き、楽 しめるようになってきた。」と言う宮﨑さんご夫 妻。どの様な環境であれ、〝移り住むこと〟はや はり大きな変化。文化も習慣も大きく違う都会か ら田舎への移住において、新しい生活を楽しめる ようになるまではいくつか山を越えなければなら ないかもしれないただ、その中で新しい人と繋 がり面白い〝縁〟があることは移住の醍醐味のひ とつなのだろ。

10 2 20 20 30 2 90 研修生を募集中! 合鴨農法や有機農法に興味のあ る方、やる気のある方、大歓迎 です♪ご連絡はコチラまで! TEL. 0859-64-2647 農業 NANBU no SATOBITO Text = Mai Habata 有機農家と合鴨ファーム 高校卒業後 年間東京に住んでいた井田さん が、実家である南部町に戻って、両親 の果樹園 を引き継いだのは 歳の時。既に結婚し子どもが いたので、梨や柿を育てる農園には小さい子ども も自然と出入りしていた。農薬を散布したばかり の農園では、大人は気をつけて手を 洗うが、子 どもは色々なものを手にとったり口 に入れたり してしまう。その時に「子育ての環境 としてこ れでいいのか?」と疑問を持ったの が、有機栽 培を始めたきっかけだっ。 米の有機栽培を始めたのは、果樹は 無農薬で は難しいという事と、その後 年以上続けるこ ととなる合鴨農法について勉強して いた時期が 重なったこと。田んぼなら生き物も いるし有機 でできる、子どもにとっても良い環 境を作れる のではないかと思ったからだそう だ。そう 始まった米の有機栽培の道。当時合 鴨農法に興 味を持ち勉強していた井田さん。あ る日、隣の 田んぼの方から「来年ら合鴨やる からよろし くね。」と言われたことに触発され、「私もやり ます!」と即答したそうだ。 そもそも合鴨農法とは鴨を田んぼ に放すこと で、田んぼの厄介者である害虫等が 餌という資 源に変わり、またその鴨は食材となる。「無駄の ない循環が生まれる完璧な農法だと 思う」と井 田さんは話す。 今でも合鴨農法の良さへの考えは 変わらない が、「合鴨で食べていく!」と熱意を燃やてい た 代の頃と今とでは気持ちに変化があ るそう だ。農家として規模を拡大したいと 思ってはい るが、それ合鴨農法を大規模化す るという答 えにはならなかった。もちろん合鴨 農法は続け ていくが、今後は〝有機農家〟として農業規模を 拡大していきたいし、これからは次世代の若者た ちにそれを伝え引き継いでいくことを大事にして いきたいと話す。 なんでもやってみる 思いつくことはなんでもやってみるという性分 の井田さん。実は機織りや陶芸、パン作りなど農 業とは離れたことにも挑戦したことがあるそうだ。 現在力を入れているのが、日本酒作り。井田農園 のお米で作った日本酒を『ブッポウソウ』という 名前で、北栄町と湯梨浜町の酒蔵 社でブランド 化して作っている。 「南部町には酒蔵がないが、南部町酒を作りた い。」と熱意を燃やす。 歳まではトラクターに乗りたいと話す井田さ んのエネルギーの源は、きっと新しい物事への好 奇心と、思立ったらまずはやってみるという行 動力にあるのだろう。 青々とした鮮やかな田んぼと、元気に歩き回 る鴨。この鴨たちこそ田 んぼの害虫を駆除 してくれる井田さんの味方だ。果樹農家から 米農家になった経緯、そして合鴨農法を経て、 有機農家としての 今とこれから。 合鴨農法に有機農法、チャレンジャーな米農家 井い だ 田 真ま さ き 樹さん

11 50 2 2 90 30 90 30 農業 NANBU no SATOBITO Text = Mai Habata いい⾷べ物は ⾝体を元気にする! 今から 年ほど前、立て続けに病気を患った 節夫さんと美代⼦さん。 まずは体の毒素を出さないといけ ないという 美鈴さんの友⼈の勧めで健康⾷品を始めると、 人の体調はみるみる改善されて った。健康 ⾷品でなくても〝良いもの〟を⾷べると元気にな る! ということを実感した高木さん一家。この ことが⽶作りや野菜作りを無農薬で始めるき っ かけになった。 しかし無農薬野菜や農法が、当時は まだ消費 者・⽣産者共にあまり関⼼のない時代。一般に 受け⼊れられるのは難しく、⼿間はかかるのに 収⼊に繋がりにくいというのが現実だ った。美 鈴さんは、なんとか野菜を販売しな ければと地 元のスーパーに飛び込み、野菜販売 の地産地消 コーナーを設けてもらい、 年間、スーパーに 毎⽇出向いて実演販売を続けたこともあった。 現在は米子市内のお店での店頭販 売、野菜の 配達・配送、そしてイベント等で出店 販売をし ている。また、県内外のレストランで野菜を使っ てもらえるようにもなった。 ただ、継続・持続することはとても難しいこと。 だからこそ⾼⽊農園の新しい挑戦は続く。 節夫さんも美代⼦さんも元気だとはいえ、年 齢を重ねていく中で、今後は若い⽣産者に南部 町だけでなく、⿃取⻄部を担っていってもらい たいという思いがあり、美鈴さんは イベント出 店などを通して若 ⼈と繋がっていくことも積 極的に⾏っているのだそうだ。 元気の秘訣は⼤地から ・いい⾷べ物を⾷べる ・誰かのために頑張る ・希望を持って⽣きていく 歳を過ぎても夫婦健在・現役農家である高木 さん夫妻の元気の秘訣。 「体の不調を訴えることもなく、来年 は何作ろうか と楽しみに話している。〝これを 作って欲しい! 〟 と頼りにされること、〝誰かのために〟というこ とが元気の源で、そういった楽しみがいつもポジ ティブでいることに繋がっ ことを実感しま すね。こういった⼤切なことをいつも⼤地から教 わっている思うんです。」と話す美鈴さん。 「農業は〝⼿間 = お⾦〟にならないし、⽣易しい 世界ではない。だけど、〝覚悟を持って〟そこに 取り組めば、難しこでも⼀つの光はどこかに 差しているから、諦めないで欲しい。」 農業に限らず、他の何にで も当てはまる〝覚 悟〟という言葉。決して柔らかくはない⾔葉だけ ど、その厳しさの裏に優しさと期待、そして⽣ま れ育った町への思いが込められている インタビュー 美 みす ず 鈴さん 無農薬農家になって 年以上。自転車に乗り 畑に向かう微笑ましい後ろ姿。 歳を超えて もワクワクしながら生きる現役農家夫婦の元 気の秘訣とは。 無農薬農家 年以上のベテラン夫婦 ! 高た か ぎ 木 節せ つ お 夫さん ・ 美 み よ こ 代子さん

12 = 農業 NANBU no SATOBITO 42 Text = Mai Habata 農業少年の夢 内田さんは幼い頃から祖父母や親 の農業を身 近に感じ、「将来は地元で農家になる」と夢見て きた農業少年だった。 小学生の頃から休み時間は校長先 生とトラク ターに乗り、繁忙期には終礼がなる が早いか学 校を後にして田んぼに行く。地元の 中学校を卒 業した後は、鳥取県立倉吉農業高等 学校、鳥取 県立農業大学校を卒業し『農業への 道』を着実 に進んでいった。 そうした内田さんの農業への夢を ずっとそば で見てきた地元の人たち、若い担 い手の雇用 体制を作るため、2002年農事 組合法人を 設立した。そして、大学校卒業後すぐ に同法人 に勤めた内田さんは現在作課長を務めている。 「農機がかっこよかったから農業を 目指すよう になった。」 内田さんは無類の農機好き。特に海 外製の農 機は馬力も大きさも凄まじく、北海 道で開かれ る農機の展示会には毎年行くそうだ。 もちろん農機に乗りメンテナンス をするだけ が仕事ではない。作業計画、事務作 業、従業員 への指示などを統括する傍、地域の 集まりごと への参加や、同業者と交流も欠かせない。 農家にとっては当たり前かもしれ ないが、中 学生以降ゴールデンウィークがあっ た記憶はな く、下手すれば除雪作業で年末年始 がない年も あるほどの多忙さだ。日々に追われ る中でも今 後の会社の方向性を考えながら、高 齢化する社 会と変化する時代の中で、常に農 の形に向き 合い模索し続けている。 地域の人のあたたかさ 南部町のどういうところが好きかと伺うと、 「人 が色々と〝ごしてくれる〟とこかな。」と話す内 田さん。近所の人が野菜をくれたり、困っている ことがあったら助けてくれたりする、そんな人の 温かさだ。 ※ごしてくれる くれる そう思うのは、小さい頃から内田さんにとって 地域の人たちが先生だったからだろう。 「機械は田住の吉持さん、農機の修理は北方の足 井さん、土木の知識は三崎の唯さんから…そんな 風にそれぞれの分野をその道の先輩である地元 人に教えてもらったんよ。」 そう話す内田さんの言葉からは、地域の人たち に育ててもらったという感謝の気持ちと、その期 待を背負っているという責任感が感じられた。 人が人を育てる。地域の大人が子どもを育てる。 機械化が進み、インターネットさえあれば何でも 調べられるような時代の中で、人から人へ、大人 から子どもへと言葉や経験として伝わっていくも のこそが本来のコミュニティーの形であり、田舎 だから 残る強みなのかもしれない。 界隈では有名な“農業大好き少年〟の夢と彼 を応援する地域の思いが形になった『農事組 合法人 寺内農場』。おおよそヘクタールの 土地で米を中心に大豆やそばも栽培している。 農機に魅せられ夢を叶えた農業少 年 内う ち だ 田 雅ま さ し 史さん

13 59 1 8 1 9 10 14 10 18 農業 NANBU no SATOBITO !? Text = Mai Habata 高校生の頃からの夢 奥山さんの家は名前の通り山の奥。 川が流れ る家の前の川沿いにはビワやウメ の木、花や野 草が茂っている。もちろ ん畑や田んぼもあり、 まさに自然そのもの。 しかし驚くのは自然の風景だけで なく、家の 前の道を上って行ったその先。自然 の中に牛が 放たれている風景だ。もちろん柵やゲートは作っ てあるけれども、手を伸ばせば触れ られそうな くらい間近に大きな牛たちが放され ている様子 は迫力満点。今でこそこの集落で牛 を飼ってい る人は奥山さんしかい なくなってしまったが、 金山地区は昔から牛飼いが多い地 域で、集落内 で牛馬市が開かれてたくらいだ ったそう。 山家も例に漏れず牛飼いの家で、も ちろんここ で生まれ育った奥山さんの暮らしの 中には小さ い頃から牛がいた。 「高校生の頃から“牛を山に放すこと〟が夢だっ たんですよ。」 そう話す奥山さんは、役場勤めをし ながら牛 の世話をし、 歳で早期退職。退職後徐々に牛 の頭数を増やし、退職した 年後に〝牛を山に 放す〟夢を叶えのだ。また201 8年の冬に は家畜人工授精師の国家資格も取得している。 現在は親牛 頭、育成牛 頭を飼育している 〝繁殖農家〟。母牛を飼育し子を産ませる。子牛は、 生後 〜 ヶ月の頃に家畜市場の競り市に出す か、残して将来母牛にするか決める。 母牛に育てる子牛は ヶ月頃に人工受精し、 スムーズにいけばその後 ヶ月くらいで出産する。 そして生後 ヶ月頃に、和牛登録協会が検査を し、晴れ大人の仲間入りとなるの だ。ちなみ に放牧している牛は〝妊婦さん〟の みで、寒い 時期は夕方になると牛たちを牛舎に帰るよう呼び に行くが、夏場は昼夜放牧なのだとか。 のびとファームとブログ仲間 雄大で自然いっぱいの自身のフィールドを、奥 山さんは『のとファーム』と名付けている。退 職後、山の中での生活が中心となり人との繋がり が薄くなってしまうと感じた奥山さんが友人に誘 われて始めたのがブログ。『げブロ』というこ のブログの〝じげ〟とは鳥取の方言で〝地元〟と いう意味だ。 『のびとファーム』は、 このブログを通して繋がっ たじげ仲間たちの集いの場になることもあるそう だ。県内の様々なところから集まった個性溢れる メンバーが、山から採ったり持ち寄た季節食 材で野外料理をしたり、キャンプをしたりして楽 しむ。 牛がのびのび暮らし、人が集う『のびとファー ム』は、いつ訪れても魅力に溢れている場所だ。 南部町で繁殖農家を営む奥山さんの家は、こ の道で合っていたかな…と不安になるほど山 道を登った先にある。そこからさらに奥へ進 むと、森の中からひょっこり顔を出してきた のはなんと牛。奥山さんが放牧する牛たちだ。 森の中で放牧 ワイルドな牛農家 奥お く や ま 山 俊し ゅ ん じ 二さん

14 1 13 20 17 80 13 1 30 77 作家 NANBU no SATOBITO 24 50 Text = Mai Habata おはなし・ドン 角田さんが退職後縁あって始めた こと。その つが『おはなし・ドン』。お話のあたたかさを 地域の子どもたちへ伝えていきたい という想い で始まったボランティアグループ だ。人形劇を 中心に、絵本の読み聞かせやパネル シアター等 を公演する。メンバーはだいたい 人くらいで、 それぞれが得意分野を活かして脚本 から小道具 作りまで全てを自分たちで行うそ うだ。もちろ ん角田さんはその手の器用さから、 たくさんの 人形を作ってきた。年に数回公民館 での定期公 演と、依頼があれば町内の保育園や近隣 市町村 の施設などに出向く。現在 年近く続く活動の 中で、角田さんは発足から 年間団体の代表を 務めたという。 「台詞を覚えるのは頭 の体操にとても良いし、 何より楽しい! 歳までは続けたいと思ってい るのよ。」 そう話す笑顔は本当に楽しそうだ。 教室の始まり 人形劇の他に、自身の工房で布絵と 粘土細工 の教室もされている角田さん。布絵 はその名の 通り、布を使って絵を作り出作品 で、その細 やかさと繊細さは圧巻だ。角田さ んが を始 めたのは 年ほど前のこと。書を習いに行った時 に、先生に見せてもらった 枚の布絵がきっかけ でその世界にのめり込んだ。先生からある時 「あっ ちゃんのものになってきたね。」と言われたこと や、周りからの布絵を教え欲しい という声に 応え、教室を始めるようになった。 また、幼稚 園勤務時代から習っていた粘土細 工は、退職後 に保護者さんたちに少人数で教えるところから始 まり、現在は布絵と同じく自身の工房で教室を開 催している。 現在は布絵と粘土細工を合わせて、おおよそ 人くらいの生徒さんが通っているそうだ。 「教室は忙しいけれど、生徒さんが来てお話をし ながらたくさん笑うことで元気になるのよ。」と 話す角田さん。他にも絵葉書を書いたり、木彫り をしたり、吊るし飾りを作ったり……。 面白そう! と思ったことは何でもやってみるその姿勢は、幼 稚園の子どもから学んだと言う。 歳になり、今まで始めたいろいろなことを少 しずつ誰かに委ねり、ペースを落としたりして いるのだそうだが、「何でもやるからには楽しま なきゃ!」と話す角田さんのキラキラした笑顔は、 そうして自分の体や年齢に向き合うことも楽し でいるように見えた。 工房に入ると所狭しと並ぶ作品の数々。特に 布絵は絵画と見間違うほど繊細で美しい。米 子市から 歳の頃南部町に嫁いできてはや 年以上。長年幼稚園教諭として働いた角田さん が、退職後自身で始めた新しい〝ワクワク〟。 人と繋がる作品づくり。人形劇・布絵・粘土細工作家 角つ の だ 田 敦あ つ こ 子さん

15 3 5 2 2 2 作家 NANBU no SATOBITO Text = Mai Habata おばあさんになっても できる仕事がしたい 東京生まれの服部さんが、染織に興 味を持っ たきっかけは、デパートで機織りの 実演販売を 目にした時のこと。織り機という機 械仕組み や、織り機にかけられた経 たて 糸と緯 よこ 糸が、組み合 わさって布になっていく様子は当時 高校生だっ た服部んを虜にした。 「当時は大学進学するのが当たり前 になってき つつあった世の中。でも、本当にそ でいいの だろうか? と疑問を持っていたんです。」 そう話す服部さんは、進学を目指し て美大を 受けつつも、〝おばあさんになってもで きる仕 事がしたい〟と思っていたそう。 そんな折、高 校 年の夏休みにお父様の知り合いを頼 って京 都の機織り工房を見学に行き、それ をきっかけ に進学をやめて卒業後すぐその工房に弟子入り。 年間そこで染織を学んだ。とてもこ だわりを 持った先生に教わった染織は、「染料も水もそれ ぞれの土地で違うのだから、それぞ れの場所で できるやり方をする」ということ だった。機織 り機もいろいろな種類触れ、先生 から学んだ 様々なことが、後に鳥取で住むよう になって活 かされているという。 南部町との縁 弟子入りした染織の先生が携わっ ていた、米 子市の『アジア博物館・井上靖記念館』の開館。 それについて一緒に米子を訪れていた 服部さん だったが、先生が準備中に亡くなら れ、急遽仕 事を引き継ぐことになった。軌道 に乗ったら東 京に帰るつもりだった服部さんだ ったが、当時 たまたま東京から伯耆町に里帰りされていた彫刻 家の入江達也さんと出会い、後に結婚。 年程は 米子に住んでいたお 人だったが、ご主人と親交 のあった鳥取出身の画家である、齋鹿逸郎さんの 勧めで南部町(旧会見町)にある齋鹿さんの実家 を借りることになった。 南部町に引っ越してきたのは、お子さんが 歳 の頃。 当時は、嫁に来たのではなく借家人とし て部落に入るのは珍しいことだったが、集落の皆 さんはとても温かく、またお子さんがいたことで 地域の人と繋がりもでき、 自然に集落に溶け 込んでいけた。 「南部町は自然が豊富ですよね。」 東京では限られた空間で、音にもスペースにも 気を配らなければならない環境だった。一方南部 町では裏山で染色に使う材料が採れ、庭一角に 染め場を作ることもできて、 十分な作業場所がある。 「今後も、たっぷりの自然と温かい人たちに囲ま れた中で、時間を大切にしながら、自分のできる ことをやっていきたい。」 そう話す服部さんの作品に は温もりが溢れてる。 たっぷりの自然に囲まれた工房から生まれる、 空気に溶け込むような温もりある染織 作品。 東京から南部町へ、染織の道を歩き続ける作 家の営みを取材した。 里山の空気も織り込む機織り・染織作 家 服は っ と り 部 麻ま ち こ 知子さん

16 2 4 50 5 町民 NANBU no SATOBITO 濱本さんが顔をだすかも? Text = Mai Habata お試し住宅『えん処米や』 南部町移住の玄関口。古民家を改装した住 宅で、移住を視野に入れた方に宿泊してい ただけるお試し住宅です。 > 詳しくは p.20 へ 毎⽇が楽しい 「今日は朝一から豆腐作りだけん。」 「明⽇はこども⾷堂があるけんね。」 濱本さんと出会って話すと料理に 関すること が多いのだが、実は本業は美容師。お⺟さんも お祖⺟さんも美容師さんだったことで⾃⾝も⾼ 校 年の時に通信教育で美容師を⽬指し資格を 取得した。自宅横『濱本美容室』 ご自身が 小学校 年生の頃から現在の場所にある。昔 は 毎日開けていた美容室は、現在は予 約が入った 時に店を開けるスタイルにしてい て、ずっと昔 から通ってくれ ている常連さん はもう 年に なる方もいるのだとか。濱本さん美容室の傍、 前述の通り豆腐づくりやこども食堂 など地域で の活動が幅広い。その他にも籠編み や折り紙な どする手先の器用さは高校が家庭科 専攻だった ことが大きく影響しているのだそう。 「絵⼿紙を書いていたこともあったし、⽔泳や 卓球もしてたよ。新しいことが好き だけんなん でもやってみるんよ!」 そんなアクティブさこそが濱本さ んがいつも エネルギッシュで“毎⽇楽しい〟⼤きな理由の 一つなのだ。 ⼈を⼤切にしたら ⾃分も⼤切にされる 実は車がないと生活が厳しい南部 町で、車を 持っていない濱本さん。歩いている と「乗って いく?」と声を掛けられることも。米 子に出た 時にはタクシーで帰ることもある が、迎えに来 てくれるお友達もて、いつもお世 話になる代 わりに彼女の髪を切ってあげるのだという。 また、家の隣にあるお試し住宅『えん処⽶や』 に誰かが泊まると、朝ごはんを作って持って⾏っ たり、作った折り紙をプレゼントしたりする。 「みんなが助けてくれるけん、困ったことなんて ない。⾃分が幸せだけん、⼈を助けてあげたいと 思うんよ。」 そういう濱本さんの周りには助けたり助けられ たりという関係がごく⽇常的にあり、都会では なかなか無いような⼈との関わりや繋がりがある。 月には笹巻き、彼岸にはぼたもちなど、昔は当 たり前だっ風習が希薄になる現代の中で、〝作 る〟〝分かちあう〟 う人や地域との関わりや 文化がごく当たり前のようにある濱本さんの暮ら しは、とても貴重で大切なこと違 い。 濱本さんには⼈と関わる上で⼤切にしている⾔ 「気葉はがある。 ⻑く、⼼は丸く、腹⽴てず、⼈は⼤きく、 ⼰は⼩さく」 濱本さんの周りに人がいる こと、また初めて 会ってもホッとさせてくれるような安⼼感や温か さは、この⾔葉を⼤事にしてきたからこそなのだ ろう。今⽇も濱本さんの笑顔と元気な声が、南部 町に響く 文化や風習、その土地に根付くもの。そして 人との繋がり。現代では薄れつつある大事な ものを持ち続ける濱本さん。今日もみんなと 助け合いながらパワフルに生きる、南部町の お母さんような存在。 エネルギッシュな南部 町のお母さん 濱は ま も と 本 和か ず こ 子さん

17 5 6 10 1 cc 78 町民 NANBU no SATOBITO Text = Mai Habata 食べることが好き! 「これはね、チーマディラーパって 言って、菜 花系。こはエルバステラ。それから これはセ ルバチユ…。」 畑で松本さんが説明してくれる野 菜の名前は メモをしないと覚えられないような名前ばかり。 そして別の場所に移動すると目の前 に現れたの はなんと等身大に育ったアーティチョク! イ タリア野菜を多く作られている松本さんは、元々 〜 年前にルッコラ を植え始め、それ から 様々なイタリア 野菜を作るよう になったそう だ。 面白い野菜を育てるのは〝食べることが好き〟 ということが根っこにある。 食や作ることへの興味の始まりは中学生の頃。 何かに掲載されているケーキを見て 食べたいと 思ったものの、町内にはケーキ屋が 無く、これ は作るしかないと思ったのが〝作ること〟のきっ かけだった。高校は家政科に通ったが、調理コー スが人気だった ため被服コース に行くことに なった松本さん。実は趣味で着物リ メイクをし て販売もしていて、この時学んだ洋 裁もしっか り楽しんでいる。 結婚・出産後は、町内で豆腐の製 造・販売を 年ほどしていたが、現在は朝と夕方 保育園で パート勤務をしながら畑をしてい る。作った野 菜は塩漬けやジャム、ソースやペー ストなど保 存食などに加工するのも得意。育て た唐辛子で 自家製タバスコも作るそうだ。秋に は畑以外に も、キノコ狩りをして塩漬けするのが毎年のルー ティーンだとか。 好きなことを思いきり 畑や加工、着物リメイクなど多趣味な松本さん のもう つの趣味はバイク。コツコツと貯めて購 入した900 の真っ赤なバイクもイタリア製だ。 休日には息子さんとツーリングや、サーキット場 を走りに行くこともあるという本格派。バイク好 きはお父さんから引き継いでいるようでなんと 歳のお父さんもまだ現役だという。 「バイクに乗ったら人が変わるよ〜!」 ニコニコしながらバイクにまたがる姿は、かっ こいいの一言に尽きる。 「このバイクはね、足がギリギリ着くか着かない か。だから中途半端に怖がっていると転倒するの よ。進むときは進む、止まるときは止まる。人生 も一緒だと思う。」 バイクが好きな理由はスリルや爽快感など色々 あるのだろうが、もちろん命がけ。だからこそバ イク好きはバイクに乗ることの覚悟や 心持ちと人生 の生き方を重ねることが多 いそう。 松本さんがいつもエネルギッシュで真っ直ぐな のは、自分の〝 〟を思い切り楽しんでるか らなだろう。 〝無いのなら作る〟そこから始まった食 への 興味。畑に育つイタリア野菜、そして趣味の バイクについて語るその笑顔からは、 〝好き〟 が溢れている。 イタリア野菜に真っ赤 なバイク! 松ま つ も と 本 美み き 樹さん

18 3 3 1 60 70 2 2 2 2 町民 NANBU no SATOBITO 2 Text = Hirofumi Maeyama めだかの家 まず、気になるのが「どうして南部 町でめだ か屋を始めたのだろう?」というこ とだ。早速 聞いてみようと思ったが、先にめだかの飼育 ⼩屋 へ案内されてめだかを⾒せていただいた。……す ごい。飼育⼩屋の中にはたくさんの種類のめだ かたちがいた。 「改良めだかは繊細で管理が難しい。」 そう語るのは、めだかの家を始めて 年にな る榮さん。飼育⼩屋のめだかは過保護なので⽔ 質と温度の調整が難しい。特に⽣まれたての⼦ は体⼒がないため注意しなければならない。 だからと⾔って、世話をたくさんすればいい のかといえばそうでもない。餌のや りすぎや ⽔ の変えすぎによっても弱ったり死ん でしまった りする。 エサ代や温度管理にかかる暖房費、⽔道代な どもバカにならない。どうしそこ までしてめ だかの飼育を ことにこだわる のだろう。ま た疑問が浮かび、最初質問をやっ と聞くこと ができた。 始めたきっかけ めだかの家を始めたきっかけは、 年前に島 根県の伯太町で池に浮かぶ睡蓮の陰 に川めだか を⽬撃したことだ。そ の時直感的に思 ったの が、「か、かわいい。 」ということだ。そこから だ。⼭⽥さんは取り憑かれたように町内外 を探 し回った。ある時、他所のめだか屋さ んを訪れ て様々なめだかに出会い、 万円分のめだかを 購⼊した。それから⽴て続けに購⼊し、徐々に 種類を増やていったのだという。 現在は 〜 種類のめだかを飼育している。 人で一緒にめだかを育てているが、 ⼈とも めだかの好みが違うそうだ。男性・⼥性でも好み がだいたい分かれるようだ。 生きがい そんな⼈に、今の ⽣きがいは何かと尋ねてみた。 「めだかが⽣がいで、めだかを⼦どもや孫のよ うに思っている。見ているとつい、我が⼦のよう に喋りかけてしまう。⾃然と声が出ちゃうのよ。」 優しい笑顔でそう答える康⼦さんからはめだか に対する愛情がにじみ出ている。榮さんは、「⼈ が集う場所をつくること。めだかの家を始めたこ とでうちにめだかを買いに来てくれる⼈と出会い がある。さらに年に⼀度、盆明けの⽇曜にめだか 祭りを開催していて、めだかを通し⼈との交流 が⽣まれるのが楽しい。」と話す。みんなが気軽 に集まれるようにカラオケ部屋も作ったそうだ。 とにかく仲の良いお2⼈。「これから笑って暮 らそう。」そう⼈で決めてから、決めたことを 体現して⽣きている姿には⼼を打たれた。 南部町の奥絹屋という集 落でめだかを育て、 イベント等でめだかすくいを出したりもする 『めだかの家』のお 人。実はめだか以外に も烏骨鶏やおたまじゃくし、時にはエビやカ メなど様々な生き物に出会える場所。 めだかに魅せられた仲良し夫婦 山や ま だ 田 榮さか え さん・ 康 や す こ 子さん

RkJQdWJsaXNoZXIy NDU4ODgz