なんぶの里人 Vol.1

15 3 5 2 2 2 作家 NANBU no SATOBITO Text = Mai Habata おばあさんになっても できる仕事がしたい 東京生まれの服部さんが、染織に興 味を持っ たきっかけは、デパートで機織りの 実演販売を 目にした時のこと。織り機という機 械仕組み や、織り機にかけられた経 たて 糸と緯 よこ 糸が、組み合 わさって布になっていく様子は当時 高校生だっ た服部んを虜にした。 「当時は大学進学するのが当たり前 になってき つつあった世の中。でも、本当にそ でいいの だろうか? と疑問を持っていたんです。」 そう話す服部さんは、進学を目指し て美大を 受けつつも、〝おばあさんになってもで きる仕 事がしたい〟と思っていたそう。 そんな折、高 校 年の夏休みにお父様の知り合いを頼 って京 都の機織り工房を見学に行き、それ をきっかけ に進学をやめて卒業後すぐその工房に弟子入り。 年間そこで染織を学んだ。とてもこ だわりを 持った先生に教わった染織は、「染料も水もそれ ぞれの土地で違うのだから、それぞ れの場所で できるやり方をする」ということ だった。機織 り機もいろいろな種類触れ、先生 から学んだ 様々なことが、後に鳥取で住むよう になって活 かされているという。 南部町との縁 弟子入りした染織の先生が携わっ ていた、米 子市の『アジア博物館・井上靖記念館』の開館。 それについて一緒に米子を訪れていた 服部さん だったが、先生が準備中に亡くなら れ、急遽仕 事を引き継ぐことになった。軌道 に乗ったら東 京に帰るつもりだった服部さんだ ったが、当時 たまたま東京から伯耆町に里帰りされていた彫刻 家の入江達也さんと出会い、後に結婚。 年程は 米子に住んでいたお 人だったが、ご主人と親交 のあった鳥取出身の画家である、齋鹿逸郎さんの 勧めで南部町(旧会見町)にある齋鹿さんの実家 を借りることになった。 南部町に引っ越してきたのは、お子さんが 歳 の頃。 当時は、嫁に来たのではなく借家人とし て部落に入るのは珍しいことだったが、集落の皆 さんはとても温かく、またお子さんがいたことで 地域の人と繋がりもでき、 自然に集落に溶け 込んでいけた。 「南部町は自然が豊富ですよね。」 東京では限られた空間で、音にもスペースにも 気を配らなければならない環境だった。一方南部 町では裏山で染色に使う材料が採れ、庭一角に 染め場を作ることもできて、 十分な作業場所がある。 「今後も、たっぷりの自然と温かい人たちに囲ま れた中で、時間を大切にしながら、自分のできる ことをやっていきたい。」 そう話す服部さんの作品に は温もりが溢れてる。 たっぷりの自然に囲まれた工房から生まれる、 空気に溶け込むような温もりある染織 作品。 東京から南部町へ、染織の道を歩き続ける作 家の営みを取材した。 里山の空気も織り込む機織り・染織作 家 服は っ と り 部 麻ま ち こ 知子さん

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