安全で楽しい登山を目指して

84 第3編 登山の技術と知識を身に付けよう 登山という長時間の運動をしたときに,身体にどのような負担がかかるのかを事前に予測し,普段からそ れに耐えられるだけの体力トレーニング(筋力や持久力など)を行う。そして山では,身体にかかる負担を 最小限にするような行動適応(疲労しにくい歩行ペース,エネルギーや水分の補給など)を行う。目標とす るコースによって身体にかかる負担の内容や程度は大きく異なる。また,それを体験する生徒の身体能力に も個人差があるので,両者の関係を十分に考慮して対策を立てることが必要になる。 1 運動生理学を学ぶ意義 登山とは,荷物を背負って坂道を上り下りする,何 時間あるいは何日も歩く,自然環境の中で運動や生活 が行われる,といった特徴を持つ。筋(特に脚と体幹), 心臓,肺などには大きな負担がかかる。エネルギーや 水分の消費量も通常のスポーツに比べて大きい。 このような運動を安全かつ快適に行うためには,運 動生理学に関する知識が必要になる。ファーストエイ ドや医学の知識は事故が起こった時に必要だが,運動 生理学の知識は疲労や身体トラブルを防ぐために必要 で,事故の防止にもつながる。また,気象や読図の知 識が山側の問題を考えるのに対して,運動生理学では 人間側の問題を考える。 体力学,トレーニング学,スポーツ栄養学といった, 運動生理学とは姉妹関係にある分野の知識も必要であ る。体力学は登山に必要な筋力や持久力の特性につい て考える。トレーニング学ではそれらを改善する方法 について考える。スポーツ栄養学は,エネルギーや水 分の補給についての知識を提供してくれる。これらの 諸分野を総合してスポーツ科学と呼んでいる。 ▶指導のポイント 運動生理学の知識は,事故を未然に防ぐ上で重要 である。 2 登山中のヒヤリハット 表1は,全国の高校山岳部の指導者(顧問等)と生 徒とを対象に,登山中のヒヤリハット体験を尋ねた結 果である。人間側の要因に着目すると,指導者(顧問 等)・生徒ともに多くあげているのは「体調不良」「危 ない転び方」「疲労」の三つである。これらは山とい う環境や,登山という運動に不慣れな者が起こしやす いが,その要因をさらに考えてみると,体力や技術が 不十分なことや,身体の性質を無視した行動をするこ とで起こっている場合が多い。 たとえば「疲労」の要因を考えてみると,①基礎体 力が低すぎる,②体力は低くないが歩行技術が拙い, ③体力はあるが無理な速さで歩いている,④エネル ギーや水分を適切に補給していない,⑤環境の影響(暑 さ,寒さ,雨,高度など)を無視した行動をしている, など様々なケースが考えられる。①は基礎体力の問題, ②は歩行技術の問題,③は歩行戦術の問題といえる。 ④と⑤は身体を守るための登山技術と位置づけられる が,スポーツ科学の用語ではこのような行為を「行動 適応」と呼ぶ。 山で身体を順調に動かすためには,これらの要因を 総合的に考える必要がある。パーティの中で疲労しや すい生徒がいた場合,指導者(顧問等)は①~⑤のど れが関係しているのかを見きわめ,問題となる点を改 善する指導を行う。その際,自身の経験だけに頼るの ではなく,本稿で述べるような科学的な視点に立った 判断も併用することが必要である。 ▶指導のポイント 安全な登山は,体力,技術,戦術,行動適応など の観点から総合的に考える必要がある。 第8章 登山の運動生理学とトレーニング 表1 高校生山岳部員のヒヤリハットの状況 (山本ら,2015) 人間側の要因に関わるものについては,基礎体力の不足や,現地で の行動適応の不適切さから起こる場合が多い。 (参考文献 2 の p.137 を参照) ヒヤリハットの内容 指導者(顧問等)から 見て 生徒から 見て 体調不良 51% 23% 危ない転び方 38% 23% 疲労 38% 35% 高山病 24% 7% 転落や滑落 20% 12% 熱中症 20% 6% 道迷い 19% 13% ケガ 14% 4% 低体温症 8% 2% その他の病気 2% 1% その他 6% 5% 暴風雨 38% 42% 落雷 20% 14% 野生動物 17% 11% 落石 12% 10% 暴風雪 9% 7% 雪崩 0% 0% その他 2% 2% 人 間 側 の 要 因 自 然 側 の 要 因

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