安全で楽しい登山を目指して

123 第11章 登山の歴史と文学 これを契機にフリークライミングのブームが始まっ た。82(昭和57)年8月には,不可能視されていた 一ノ倉沢衝立岩正面壁も池田功らによってフリー化さ れる。 一方では旧ソ連邦を中心に誰が一番早く登れるかを 競うスピードの岩登り競技会が行われていた。1976(昭 和51)年,旧ソ連西カフカスで旧ソ連アルピニズム 連盟主催の国際岩登り競技会が行われ,日本から山学 同志会の今野和義と大宮求が参加。結果は旧ソ連選手 の圧勝に終わったが,この大会に触発され,日本でも 岩登り競技会が行われるようになる。 1977(昭和52)年に宝剣岳天狗岩で第1回登攀技 術研究会と称した岩登り競技会が開催された。其の後, 1988(昭和63)年には第2回ジャパンカップが静岡 市のツイン・コアビルの外壁に人口ホールドを設置し て開催され,これが国内初のスポーツクライミング競 技大会となった。 1989(平成元)年からワールドカップ・シリーズが スタート。 1991(平成3)年にはアジアで初めてのワールド カップ大会を東京・代々木競技場で開催。その中で平 山ユージは飛び抜けた実力を発揮して優勝。98(平成 10)年にはワールドカップ・シリーズを制覇してつい に世界チャンピオンに輝く。平山は,クライミング・ コンペのみならず 97(平成 9)年秋にはヨセミテのエ ル・キャピタンのサテラ・ウォールをグランド・アッ プによるオールフリーに成功し,世界初の快挙を成す。 1991(平成 3)年には世界選手権が開催され,翌 92(平 成 4)年には世界ユース選手権も行われるようになる。 其の後,ワールドカップも徐々に拡大し,参加国や大 会数も増え,98(平成10)年からはボルダリングも 加わり,より充実したシリーズとなった。 一方,90年代になると大都市周辺では室内に人工 壁を設けたクライミング・ジムが相次いで誕生。フ リークライミングは,クライミングの本筋を冒険から スポーツへ,大衆化へと移行した。 こうした中,2007(平成 19)年に国際山岳連(UIAA) で10数年にわたりワールドカップを主催してきた国 際クライミング協議会(ICC)が国際スポーツクライ ミング連盟(IFSC)として分派独立し,2010(平成 22)年 2 月に国際オリンピック委員会(IOC)加盟と なる。 2014(平成 26)年 12 月にモナコで開催された IOC 総会で,トーマス・バッハ IOC 会長は,中長期改革「オ リンピック・アジェンダ2020 20+20提言」を提案 した。アジェンダでは,夏季五輪競技種目28の上限 を撤廃して,開催都市のオリンピック組織委員会が競 技種目を追加提案することができる,とされた。 これを受けて 2015(平成 27)年 5 月,東京オリンピッ ク・パラリンピック組織委員会では,33の非五輪競 技団体に応募用紙を発送し,応募のあった26競技か ら 8 競技に絞りこんだ。 スポーツクライミングは「アーバンスポーツの代表 格。これまでの五輪競技にはなかった垂直方向の競技 パフォーマンスがユニークな新しい価値をもたらす」 として評価された。最終的に 5 競技 18 種目が IOC へ 提案され,2016(平成28)年8月,リオデジャネイ ロで開催された第129回IOC総会で,一括承認された。 追加種目となったスポーツクライミング競技は,メ ダルの数(種目)は,男子・女子各1の計 2 種目。選 手数は,男子・女子各 20 人の計 40 人。競技の内容は, リード,ボルダリング,スピードの 3 種目複合で行わ れる。 9 山岳文学 日本の山岳文化は,そのはじめは口から口に伝えら れ,口誦伝承の神話・伝説等が文書の形態に記される ようになったのは大陸から文字が移入されてからのこ とで『古事記』や『日本書紀』に地誌が記され,山が 位置づけられてからである。其の後,今日に至るまで, 日本の山岳文化は,長い年月を経つつ伝統を形成して きた。 明治維新によって海外の文化が自由に摂取できるよ うになると,欧米の熟成した近代文化が潮のごとく流 入してきて,日本の山岳文化も大きな影響を受けた。 明治20年代になると日本文学にロマン主義が台頭 する。文明開化が進んで合理的思考や生活の利便を得 た人々が,一方で自然への憧れを抱き,地方に残る美 しい山水を放浪して自然に触れた体験,旅の情緒を筆 に託す文学者の紀行に,人々は吸い寄せられ,社会に 自然志向機運が高まる。北村透谷,田山花袋,山田美 妙,久保天随,幸田露伴らの文学者が山水紀行を発表。 一方,『日本風景論』(志賀重昻,1894 年刊)や『日 本アルプス・登山と探検』(W. ウェストン,1896 年刊) の名著は,日本の近代登山に大きな影響を与えた。 明治末期から大正初期には,チベットやアルプス紀 行が紹介されるようになる。1904(明治 37)年,『西 蔵旅行記』(河口慧海)が刊行。1910(明治43)年, 加賀正太郎のユングフラウ横断紀行が『山岳』に発表。 翌 11(明治 44)年,鹿子木員信はベルナー・オーバー ランドを中心とする旅をし,その紀行を纏めた『アル ペン行』(1914 年刊)は,アルプスについての最初の 単行本である。鹿子木は,1919(大正 8)年のシッキ ム・ヒマラヤ紀行を纏めた『ヒマラヤ行』(1920 年刊) も著す。1914(大正 3)年,辻村伊助は,ユングフラ ウやメンヒに登り,その紀行を『スウイス日記』(1930

RkJQdWJsaXNoZXIy NDU4ODgz