安全で楽しい登山を目指して

119 第11章 登山の歴史と文学 イマーに加えて上田哲農,安川茂雄らオピニオンリー ダーも参画した。基本的には実践団体ではなく研究・ 啓発を目的としたサロン的な集まりであったが,第2 次 RCC の旗印の下で先鋭的な登攀も行われた。 同人らの登攀用具研究で埋込ボルトが開発されると 1958(昭和 33)6 月,一ノ倉沢コップ状正面壁が松本 龍雄らによって初登攀される。翌59(昭和34)年7 月には東京雲稜会の南博人らが屏風岩東壁,同年 8 月 には一ノ倉沢衝立岩正面壁を初登攀し,不可能神話を 崩壊させた。以降,ピトンの打てない一枚岩の岩壁に もボルトが連打されるようになり,人工登攀の全盛を 迎える。 一方,雪崩の脅威に支配される冬季ルンゼ登攀にア ルピニズムの真髄を求めるクライマーも現れる。1960 (昭和 35)年 2 月,独標登高会の久間田芳雄と石井重 胤は一ノ倉沢滝沢第 1 スラブを冬季初登。石井は,66 (昭和 41)年 8 月にグランド・ジョラス北壁の日本人 初登攀者となる。 石井らが滝沢スラブを冬季初登した同年4月,全日 本山岳連盟と日本山岳会が協力して日本山岳協会を創 立し,登山界を統轄する中央競技団体として日本体育 協会(現日本スポーツ協会)に加盟する。同年5月に は勤労者山岳会(現日本勤労者山岳連盟)も創立される。 登山者の増加と共に遭難も続発した。『山男の歌』 が大ヒットした 1962(昭和 37)年の正月 4 日間には 全国で過去最悪の死者・行方不明者31名を記録。そ して年末には北海道学芸大学函館分校山岳部のパー ティ 11 名が遭難し,リーダーを除く 10 名が死亡。明 けて正月早々には愛知大学山岳部員13名が薬師岳で 遭難。翌 1964(昭和 39)年 1 月には大舘鳳鳴高校の 高校生 4 名が岩木山で遭難するなど学生らの悲劇が相 次いだ。これらの遭難事故は,繰り返し新聞等のメディ アで報道され,社会問題となった。 こうした背景の中で,山岳遭難事故を未然に防ぐに は,優れた指導者(顧問等)の養成が急務として国立 登山センター構想がまとまり,1967(昭和42)年に 文部省登山研修所(現国立登山研修所)が設立される。 1960 年代末から 70 年代に入ると谷川,穂高,剱の 三大岩場以外の未開の岩壁に目を向けられ,新たな ルートが拓かれていった。黒部丸山,別山,奥鐘山, 明星山,海谷山塊,越後駒ケ岳,唐沢岳,甲斐駒ケ岳, 大崩山群などで次々と夥しい数のバリエーションルー トが拓かれた。これらの殆どは,社会人山岳会によっ て拓かれたが,中でも岡山クライマースクラブ,広島 山の会,清水RCCなど地方都市の社会人山岳会の躍 進が目立った。やがて彼らは,新たな困難を求めてア ルプス,アンデス,ヒマラヤのビッグ・ウォールへと 羽ばたいていくことになる。 一方,70年代初めにピオレトラクションの技術が 伝わると雪崩の脅威ゆえに登られてこなかったルンゼ やスラブのルートが注視されるようになる。1973(昭 和48)年3月,遠藤甲太が一ノ倉沢αルンゼをピオ レトラクションによる登攀で積雪期単独初登。以降, ピオレトラクションによる登攀は,主として谷川岳東 面のルンゼ,スラブで次々と展開されるようになる。 細貝栄(八雲山の会)は,76(昭和51)年冬に谷川 岳のルンゼを単独で 5 本も登った。 1979(昭和54)年1月,登攀クラブ蒼氷の冨田雅昭が, 奥鐘山西壁京都ルートを積雪期単独初登すると,同年 12 月には鈴木茂(群馬太田山岳会)が紫岳会ルート, 翌 80(昭和 55)年 1 月には登攀クラブ蒼氷の横山忠(坪 井忠雄)がOCC左ルートをそれぞれ積雪期単独初登 して,冬季岩壁登攀史に節目となる記録を遺した。 また,1981(昭和 56)年 12 月に日本登攀クラブの 山上清人,倉田和憲が甲斐駒ケ岳篠沢七丈ノ滝をピオ レトラクションで登攀,これを機に全国的に氷瀑(バー ティカル・アイス)登攀が拡がった。 一方,70 年代末から 80 年代にかけては,谷川岳や 甲斐駒ケ岳の既登ルートを1日で何本も継続するス ピード登攀も行われるようになる。 6 中高年登山と商業登山 80 年代末,戦後生まれの団塊の世代が 40 歳代を迎 え,中高年登山ブームが起こる。会社での終着が見え 出した頃から定年後の生き甲斐を考え,健康志向,有 り余る時間の過ごし方,趣味探しなどの先に登山が あった。この中高年登山者に深田久弥の『日本百名山』 は恰好の目標となって「百名山ブーム」が起こった。 2 泊 3 日で 3 名山踏破などの弾丸ツアーもあってどの 百名山も登山者で溢れるようになり,百名山以外の山 は不遇を囲った。 この「百名山ブーム」では,ガイド登山を隆盛させ, 登山者ではない登山客を作り出した。現在,中高年層 の大半を占める自立しない登山客の遭難事故が多発し ており,社会的な問題となっている。 日本に近代登山が勃興してほぼ 1 世紀半を経た。そ の昔,先鋭的なクライマーたちが岩と雪に若い命を賭 したクラシック・ルートも,今では老若男女が何の気 負いもなく出かけ,ゲレンデ感覚で登っている。人工 登攀で登られた岩壁はフリー化され,素手のフリーク ライミング愛好者が登っている。 一方では,山をフィールドとする新たなスポーツと して,カモシカ山行を競技化したようなトレイルラン ニングやスカイランニングの愛好者が増え,各地で競 技大会が開催されるようになり,山は登山者のためだ けのものではなくなってきた。

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