安全で楽しい登山を目指して

117 第11章 登山の歴史と文学 いページを次々と書き加えていった。雪と氷と岩を対 象とする新しいアルプス的な登山が,国内の山々で本 格的に開始されたのである。1907(明治40)年北大 スキー部,13(大正2)年一高旅行部,三高山岳会, 20(大正9)年二高山岳会,21(大正10)年慶應義 塾大学山岳会,25(大正 14)年学習院輔人会山岳部, 26(大正15)年早稲田大学山岳会と学生山岳団体が 生まれた。大正の末期には当時の大学,高専の殆どに 学生山岳団体が設立された。 一方,一般の登山愛好者の組織も生まれる。1908(明 治 41)年 8 月には飛騨山岳会,09(明治 42)年,名 古屋愛山会,13(大正 2)年,山梨山岳会,19(大正 8) 年に信濃山岳会や霧の旅会などが設立された。関西で は 1910(明治 43)年に神戸草鞋会が設立され,13(大 正 2)年に神戸徒歩会(KWS)と改称する。 この時代,既に積雪期登山も一部では行われていた が,スキー技術の伝来によって積雪期登山の幅が広 がっていった。1911(明治44)年1月,オーストリ ア陸軍の T.V. レルヒ少佐が高田師団歩兵第 58 連隊で スキー技術を伝授。スキー登山は,先ずレルヒの門下 生によって 1913(大正 2)年,富士山で行われる。そ の後,北アルプスの立山,剱岳,白馬岳,燕岳,槍ヶ 岳,穂高岳,南アルプスの北岳,北海道の大雪・日高 山系などで急速な勢いでスキーを雪山の歩行具とする 登山活動が活発となった。 4 アルピニズムの勃興 アルプスに於ける日本人の本格的登山は,大正の中 期から活発の度を加える。 1921(大正10)年,日高信六郎は,モン・ブラン (4,807m)に日本人初登頂を成す。 同年9月,槇有恒がアイガー東山稜を初登攀した。 この快挙は,既により困難な岩稜,岩壁に挑戦する「鉄 の時代」を迎えていたアルプスの登山史上からみて も,輝かしい記録であった。またこれは日本の登山界 にとっても新しい局面を迎える深い意義を持つ登攀と もなった。 当時,国内でも岩稜を登降する登山は行われていた。 1920(大正 9)年 7 月,信濃山岳会の土橋荘三らが小 林喜作の案内で,槍ヶ岳北鎌尾根を初めて縦走(下降) した。22(大正11)年には学習院大学山岳部の板倉 勝宣,松方三郎,伊集院虎一らが喜作の案内で天上沢 から北鎌尾根に取り付き,槍ヶ岳に登頂。同日,早稲 田大学山岳部の舟田三郎,麻生武治は槍頂上から北鎌 尾根を 2,907m 迄下り,頂上へ登り返した。 1921(大正 10)年暮れに帰朝した槇は,翌 22(大 正11)年3月,慶應山岳部の後輩と学習院山岳部の 合同パーティで積雪期の槍ヶ岳登頂を果たす。この積 雪期登山は,早稲田の舟田,麻生,小笠原勇八らを奮 い立たせ,舟田らは 24(大正 13)年 1 月により困難 な厳冬期の槍ヶ岳登頂を果たす。積雪期から厳冬期, 冬季登頂から冬季縦走へとより困難な山行を目指す学 校山岳部の活動が熱を帯びてくる。 一方,1924(大正 13)年 6 月,藤木九三,榎谷徹蔵, 水野祥太郎,津田周二,中村勝郎らが神戸にロック・ クライミング・クラブ(RCC)を設立。神戸徒歩会 の会員を中心メンバーとしたこのRCCは,日本初の 岩登りと雪山登山を専門とした社会人山岳会である。 翌25(大正14)年に藤木は日本初のロック・クライ ミング技術解説書『岩登り術』を著し,同年 8 月に北 穂高滝谷の初登攀を成す。 こうして,時代が昭和に入ると社会人登山も盛んに なる。1930(昭和 5)年に山岳雑誌『山と渓谷』が創 刊され,相次いで『山と旅』,『山小屋』,『ハイキング』 などが発刊されると燎原の火の如き勢いで全国に登山 熱を煽り立てた。各地に山岳会が誕生したのは,こう したマスコミの発達が背景にあった。 東京では 1929(昭和 4)年に武蔵山岳会ができると 明峰山岳会,日本登高会,登歩渓流会などの山岳会が 相次いだ。 1930(昭和 5)年頃になると若いクライマーたちは, さらに困難な登攀,挑戦的な積雪期登山を志向するよ うになり,本格的なバリエーション時代へと突入する。 1930(昭和 5)年 8 月,剱岳チンネ左稜線上部を弱 冠 18 歳の山埜三郎(RCC)が初登攀。 小川登喜男は,翌31(昭和6年)年8月,穂高屏 風岩1ルンゼ,2 ルンゼを初登し,翌 32(昭和 7)年 4月には単独で剱岳八ツ峰と源次郎尾根の積雪期初 登。 1932(昭和 7)年から 34(昭和 9)年にかけては早 大山岳部の出生陽太郎,今井友之助,折井健一,小川 猛男(登喜男の弟)らが北穂滝谷の積雪期登攀に取り 組み,第2,第3,第4尾根を積雪期初登。その先鋭 的精神は次世代にも踏襲され,36(昭和11)年1月 には小西宗明,村田愿が鹿島槍北壁主稜,同年 3 月に は青木茂雄らによる剱岳池ノ谷・剱尾根の積雪期初登 攀が成された。 当時,冬期登攀を果敢に実践したのは,早大ととも に東京商大(現・一橋大)の小谷部全助らであった。 小谷部らは 35(昭和 10)年 6 月,北岳バットレス第 4尾根の直登に成功すると,36(昭和11)年9月に は第 1 尾根を初登。翌 37(昭和 12)年 1 月には第 1, 第 4 尾根の冬季初登を果たす。そして同年 3 月には小 谷部と森川眞三郎が鹿島槍荒沢奥壁北稜も拓く。 本場アルプスでアイガー北壁の初登攀(1938年) が成される以前に,自国に雪線を持たぬ我が国のクラ

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