安全で楽しい登山を目指して

116 第3編 登山の技術と知識を身に付けよう 明治新政府の安定統治に尽力する。一方,各地を精力 的に旅行し,山に登った。サトウは自らの日本行脚と 日本研究を集成し,A.G.S. ハウスと共に在日・来日外 国人のために『日本旅行案内』を編んだ。因みに植物 学者で「尾瀬の父」と云われ,後年,日本山岳会や日 本山岳協会の会長を務めた武田久吉はサトウの子息で ある。 イギリス人で冶金技師のウイリアム・ガウランドは, 1872(明治 5)年~ 88(明治 21)年にかけて大阪造 幣局に招かれて各地鉱山を巡視。その傍ら中部山岳地 帯に親しみ,1873(明治 6)年に御嶽山,75(明治 8) 年に立山,77(明治10)年に乗鞍岳,槍ヶ岳などに 登頂して,初めて「日本アルプス」の呼称を用いた。 これら来日外国人の許や欧米への留学などで,山岳 をフィールドとする近代科学を学んだ日本人科学者が 養成された。彼らは,政府機関や大学などで専門分野 の調査・研究を進め,後進の育成に当たった。 1888(明治21)年,原田豊吉はドイツ留学後,中 部山岳地帯を分類して飛騨山脈,木曽山脈,美濃飛騨 高原と命名。 1904(明治37)年,山崎直方は,薬師岳や立山な どでカール地形を発見。立山・雄山西面に「山崎カー ル」の名を遺す。 1884(明治17)年,内務省,陸軍などがそれぞれ 進めていた地図作成の測量を陸軍参謀本部測量局(後 の陸地測量部)に統合。その前後から測量師らは一等 三角点設置目標の高峰に登って測量作業に当たった。 1879(明治 12)年の赤石岳が最も早く,1900 年代初 頭には飛騨・赤石・木曽山脈の殆どで測量登山が行わ れた。新田次郎の小説『剱岳点の記』で知られる柴崎 芳太郎一行による剱岳測量は,1907(明治40)年7 月のことである。 一方,野中到は,高山に気象観測所を常設する必要 性を強く主張し,1895(明治28)年に富士山頂に観 測所を設けて越冬覚悟で観測に当たる。10月1日か ら観測を開始。10日後に妻・千代子も加わり,観測 を続けるも高山病に倒れ,越冬前の師走に救出される。 3 近代登山の揺籃 1854(嘉永 7)年,徳川幕府が開国に踏み切った頃, 本場アルプスでは,A.ウイルスのヴェッターホルン 初登頂を契機にアルプス未踏の高峰を目指す「黄金時 代」の登山活動が始まる。英国では 1857(安政 4)年 に「The Alpine Club」(英国山岳会)が設立。1865(慶 応元)年にはE.ウィンパーが難峰マッターホルンを 初登頂。 「黄金時代」後のアルプスでは,A.F. ママリーら前 衛アルピニストが未踏ルートを求め,より困難で冒険 的な登攀やガイドレス登山が展開されるようになる。 このような時代にアルプスで登山を体得したウォル ター・ウェストンが 1888(明治 21)年 4 月に来日す る。イギリス人牧師のウェストンは,日本の高山の開 拓者であり,探究者でもあった。1890(明治23)年 の富士山,祖母山を皮切りに翌91(明治24)年から 日本アルプスを中心に本格的な登山活動を開始する。 1894(明治 27)年 10 月までの第 1 回滞日中の足跡は, 御嶽山,木曽駒ケ岳,富士宝永山,乗鞍岳,槍ヶ岳, 赤石岳,恵那山,針ノ木~黒部川~平~ザラ峠~立山, 笠ケ岳,前穂高岳,白馬岳,常念山などに及ぶ。1896 (明治 29)年にこれらの登山活動と日本研究を纏めた 『日本アルプス―登山と探検』をロンドンで刊行。 ウェストンの第2回滞日は,1902(明治35)年6 月~ 06(明治 39)年 3 月で,02 年には富士山,北岳 で登山を再開。03(明治 36)年には甲斐駒ケ岳,04(明 治37)年には金峰山,鳳凰山地蔵岳のオベリスク初 登攀,北岳,間ノ岳,仙丈ヶ岳,富士山,戸隠岳,八ヶ 岳などに登頂。 この時期に岡野金次郎や小島烏水ら日本人近代登山 の先駆者となる人々との交流が始まり,日本山岳会の 設立に繋がっていく。 ウェストンの第 1 回滞日に前後して,日清開戦に湧 き立つ 1894(明治 27)年,地質学者の志賀重昻が『日 本風景論』の名著を纏め上げ,ベストセラーとなる。 この書がウェストンの『日本アルプス―登山と探検』 とともに近代登山に与えた影響は大きく,ウェストン と志賀が近代登山興隆の祖と云われる所以である。 1902(明治 35)年 8 月,小島烏水と岡野金次郎は槍ヶ 岳に登頂。その直後,偶然にも岡野が『日本アルプス ―登山と探検』に出会い,槍ヶ岳の写真と登山記事を 見つける。しかも著者のウェストン宅が横浜にあるこ とを知り,手紙を送ったのが契機となり交流が始まる。 ウェストンは,小島らに日本での山岳会設立を勧め て帰国。その後,小島らはウェストンのアドバイスを 受け,越後の豪農,高頭式(仁兵衛)らの尽力もあっ て 1905(明治 38)年に日本初の山岳会を設立する。 すでに日本国内の多くの山々は,宗教的には開山さ れており,地図作成の測量登山も進んでいた。だが志 賀によって愛山の念を鼓舞され,日本山岳会の発足を 知って登山を志す都会の若者にとって,山は未知の領 域だった。日本アルプスを中心に谷から峰,峰から峰 へとルートを開く,探検登山が展開され,日本アルプ ス黄金時代を迎える。日本山岳会設立の前後から10 年余,大正初期までがそのピークを成す。 日本山岳会の草創期会員たちによる中部山岳地帯の 探検登山が一段落したころ,各大学,高等学校に相次 いで設立された山岳部の活躍は,日本の登山史に新し

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