安全で楽しい登山を目指して

115 第11章 登山の歴史と文学 山に向けた人間の畏敬の念は,ごく自然の成り行きであり,そこからいつしか山岳信仰が生まれるように なった。 日本の山は,岩山で氷河のあるアルプスとは違い,古代から行を積む修験者や木地師,猟師らの生活の場 であった。江戸時代中期には各地の霊山で講中登山が行われるなど,日本人は古くから山と親しんできた。 明治維新以降外国人の来日により,外国人の目で見た日本の山が紹介されるようになる。大正時代になると 日本人がアルプスで本格的に登山するようになり,岩・氷を登る近代登山が日本にもたらされる。やがてよ り高くより困難な思いは,ヒマラヤの高峰を目指すようになった。終戦後は,登山の大衆化が進み,先鋭的 なクライマーはバリエーションルートを開拓する。海外渡航が自由化されると満を持した日本人は,アルプ スやヒマラヤへと繰り出す。日本の高度経済成長に後押しされ,夥しい数の登山隊が数々の記録を遺した。 しかし,バブル経済の破綻とともに日本人の海外登山は,激減した。それでも先鋭的なアルピニズムは継続 され驚異的なハード・クライムがヒマラヤ等で実践されている。 1 山岳宗教と登山 国土の 7 割が山地のわが国では,古くから人々は山 と深く,さまざまに関わりながら生活してきた。 山はまず,人々の信仰の対象となった。仰ぎ見る山々 は荘厳な美しさで,畏敬の念を抱かせ,山体そのもの が神となった。山は,神・霊・物の怪が宿る聖なる地 として崇拝され,神との一体化を求めて山中で行を積 む修験者は,仏教伝来以前から見られた。 6世紀に仏教や道教が伝来すると原始的な山岳信仰 は,その影響を受け,教理と体制を整えていった。 7世紀,役の行者・小角(おづぬ)が葛城山に修験 道を開き,8 ~ 9 世紀になると山を仏教修行の場とし て,最澄が比叡山で天台宗を,空海が高野山で真言宗 を興す。 この時代,701(大宝元)年に立山(佐伯宿禰有 若),717(養老元)年に白山(泰澄大師),774(宝亀 5)年に木曽御嶽山(石川朝臣(望足)),782(天応2) 年に男体山(勝道上人)などの開山伝説が遺る。 戦国時代の動乱期には戦略上の必要から山岳の要路 がその舞台に登場する。信州の大門峠,飛騨の安房峠, 越中のザラ峠などがとくに有名である。 1584(天正 12)年 11 月,越中富山の城主佐々成政は, 浜松城の徳川家康を訪ねるため,新雪のザラ峠を雪中 強行突破した。 徳川時代,幕府や各藩は山林の管理保護に力を注い だ。山岳地帯に領地を持つ加賀,松本,尾張,高遠, 飛騨などの各藩は,山奉行,あるいは郡奉行を設け, その下に山廻りを置き,盗伐の監視,幕命・藩命に よる木材伐出,造林作業の指導・監視などを行った。 加賀藩の黒部奥山廻り役は,1640(寛永 17)年以来, 黒部川源流域で国境警備と森林保護に当たり,立山~ 針ノ木峠~鹿島槍~白馬,野口五郎~三俣蓮華~薬師 岳を結ぶ尾根や谷が細かく踏査され,記録に遺した。 江戸時代中期(18 ~ 19 世紀)になると,笠ヶ岳(1783 (天明 3)年・南裔上人,1823(文政 6)年・播隆上人), 甲斐駒ケ岳(1816(文化 13)年・弘幡(延命)行者), 槍ヶ岳(1828(文政11)年・播隆上人)などが相次 いで開山される。一方,富士山,立山,白山,出羽三 山,木曽御嶽山,相模大山などの山岳信仰の霊場では, 「講」を組織して登拝を勧める講中登山が全国に及び, 宗派を超えた老若男女で賑わいを見せる。 一方,アルプスでは 1786(天明 6)年 8 月 8 日にシャ モニー在住の医師 M.G. パカールと水晶採りの J. バル マがフランス側からアルプスの最高峰,モン・ブラン (4,807m)に初登頂。この初登頂をもって近代登山の 幕開けとされる。 2 近代登山の黎明 1854(嘉永 7)年,徳川幕府が鎖国政策を転換して 開国に踏み切ると,日本の山に外国人の足跡が及ぶよ うになり,近代登山の黎明期を迎える。 外国人の本邦初登山は,1860(万延元)年の初代イ ギリス公使ラザフォード・オルコックらの富士山登頂。 来日する外国人にとって富士山は憧れだったようで, その後も外国人の富士山登頂は急増し,1875(明治 8) 年までに女性 3 人を含めて 100 人以上に達したと伝え られる。 1877(明治10)年前後から文明開化・殖産興業の 指南役に招かれた外国人の科学者や技術者による登山 活動が各地でみられるようになる。彼らの中には,山 岳をフィールドに採集・調査・観測などの専門家のほ か職掌を超えて探検登山やレクレーション登山を楽し む者も少なくなかった。 イギリス外交官のアーネスト・M・サトウは,1862 (文久2)年に初来日し,維新期の日本を東奔西走し, 第11章 登山の歴史と文学

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