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JARC LIVE 11 近すぎて見えない 大切な言葉の意味 仏教は人が仏になる教え、生きか たを説いています。仏とは仏陀を指し、 仏陀とは覚者を意味します。自然の 規則や法則の中で宇宙や人生の真 理を悟り、衆生を教え導いてかけると ころがない人となるよう導いていくため の教えなのです。 私は宗教を学ぶために留学した経 験を生かして通訳もしているのです が、通訳が難しい日本語がいくつか ありました。そこには直訳では伝わら ない言葉であり、その言葉は実は仏 教の精神が宿っていたのです。当た り前にように使っているので、近すぎ て大切な言葉の意味が見えなくなって しまっているのです。 それは「いただきます」「おかげさ まで」「すみません」「つまらないもの ですけど」「どっこいしょ」「いってき ます」です。 「いただきます」には “ 命を奪ってご めんなさい ”という思いが込められて います。私たちは生きるためには何か の命を搾取しています。そこにはすべ て命があり、その大切な生命を食べ て生きています。というより“ 生かさ れている”ということを認識することの 大切さの意が込められているのです。 「おかげさまで」は漢字で「お蔭様」 と書きます。お蔭は神仏の加護によ るという意味があります。つまり自分 だけがすごいというおごりをかき消す 意味があるのです。もろもろの物事 には1つとして独立しているものはあり ません。我はないのです。「おかげさ まで」は親切心や優しさに生かされて いることに感謝する言葉なのです。 「すみません」は謝罪の意味だけでは ありません。謝罪と感謝、そして呼び かけの3つの意味があります。この言 葉は“すみ”と“ません”から成り立っ ています。“すみ”は“済む”を意味し、 完了する、心がすっきりする状態を指 します。“ません ” は心がすっきりして いない状態です。つまり常に自己を 問うことが大切であるという教えです。 責任転嫁することなく常に自己を問う ことが大切なのです。お釈迦様が亡 くなられる前に “ 自灯明 法灯明 ”と いう言葉を残されました。灯明は灯火 を意味し、自らを灯火するということは 自分と向き合うことであり、自分の責 任は自分でとりなさい、自分の人生は 自分自身で歩むもの、困ったときには 一歩立ち戻ってまた一歩進めばよいと いうことを教えています。つまり「すみ ません」には自己を問う精神の大切さ という意味が込められているのです。 “どっこいしょ”は修行者が 唱えていた仏教用語 「つまらないものですけど」は日ごろ、 あなたから受けている親切心、優しさ と比べたら微々たる物ですけどという 意味です。世の中に1つとして独立し たものはありません。ともに生かされ ている共生の中で、深い感謝ととも に生きている喜びに感謝する報恩の 気持ちをお互いに理解することが大 切であることを込めた言葉です。 「どっこいしょ」は実は仏教用語です。 霊山を登るときに修行者が “ろっこん しょうじょう(六根清浄)”と唱えなが ら歩いていた言葉がいつしか “どっこ いしょ”という言葉になったのです。 六根は目・耳・鼻・舌・体・心です。 自分の経験による自分の物差しが正 しいとは限りません。常に浄化させて きれいにしていきましょうということなの です。 「いってきます」は「行って来ます」 と書きます。行って同じ場所に帰っ て来るという再会を願う言葉なので す。私たちはいつ何が起きてもおか しくない中で生きています。同じ場所 に帰ってこれたのは偶然にすぎないこ となのです。まさに一瞬といえども存 在は同一性を保持することができない 諸行無常なのです。 このように日常使われている言葉 や薄れつつある言葉、日本語に含ま れている奥深い意味や精神を理解し ていただければ幸いです。 ~世の中に1つとして 独立したものはあらず~ 大來 尚順氏 浄土真宗本願寺派 大見山 超勝寺 僧侶 第 14 回 JARCゼミナール「話せない日本語 日本人・言葉・心」 JARC SEMINAR 仏教に通じる深い意味や 精神を持つ日本語の奥深さ 2019 年 5 月23日(木)

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