JARCLIVE10

JARC LIVE 45 たように思う。かつては市場が熱狂するブランドも歴 史や名声に依存するうちに、新興ブランドや大手など によりM&Aで吸収され、大きな傘の下に入っていっ た。それらのブランドは創業期のストーリーやデザイ ナーの想いを踏襲し続けることができず、独自性によ る価値も失われていった。そしてブランドスピリットとビ ジュアルデザインに分けられ、いつしか切り取られた ロゴだけがハンカチタオルやエコバッグに織り込まれ、 別の商品として流通するようになった。どこか物悲し さが漂うブランドの終焉である。 ラグジュアリーブランドがコモディディ化していくと、 消費者は再び自分だけの特別感や唯一無二の体 験、商品の背景にあるストーリーやコンセプトに宿す 本質的な価値に心動かされるようになる。しかし、こ こ一年で体験したコロナ禍で世の中の価値観は急 速に変化し、かつこれまでのサイクルとは少し違うス テージに入ってきた。当社も、このような未来が来よ うとは考えても見なかったし、それが世界中の価値観 をわずか一年で変えてしまうとは思ってもみなかった。 様々な行動が制限され、これまで当たり前であったも のが当たり前に手に入らないことが分かった時、人 はなんでもないことに「贅沢」を感じることを実感し た。それは昔から日常に転がっていたものであったり、 普段は見過ごしていたことだったりする。そして「今」 という瞬間にだけ存在する価値を求め、その存在を 愛おしく感じる。 例えば、手塩にかけて育ててきたのに「コロナ禍 で廃業するしかない」と訴える農家の野菜を買い求 めたり、世の中に溢れるゴミについて問う宿泊施設 に泊まりに行ったり、存続危機に瀕している酒蔵に 対する応援購入であったり。それは有り余る贅沢では なくそう行動することにより得られる心の「充足」と いった方が正しいのかもしれない。購買体験を通じて、 社会や、そう環境に対して良いことをしているという 肯定感、そして賢い選択や行動をした満足感が得ら れることを認識した。 トラベル業界も今後このような価値観と行動変容 に影響を大きく受けそうである。2023 年までコロナ 前の市場規模には戻らないと予想されているが、ワ クチンが普及し国境が開き始めると真っ先に動き出 すのはラグジュアリートラベル市場であろうと言われて いる。しかしながら、価値観の変化の中で、グロー バル富裕層が求めるラグジュアリートラベルの定義そ のものが変わってきている。 ソーシャルディスタンスや衛生上の安全性を求める のはもちろんのこと、その安全を守るために以前にも 増してパーソナライズな体験を求めている。また唯一 無二の体験をより自然豊かな場所やローカル地域に 根付く様々なモノやコトに求めようになっている。旅の シーンは多様になりそうだが、こういう流れになると、 日本国内には分がありそうだ。 これまでは、日常から得られる充足のレベルが人や 国や地域や時代によって違うことが「ラグジュアリー」 という言葉で一律に世界に発信していくことの難しさ であり課題だったが、このコロナ禍で世界中がゼロ 地点に立たされた。より本物かつ本質的なことに価 値を求め、唯一無二であることに価値を求めるように なると、日本にはこれからのラグジュアリートラベラー の欲求を満たす環境やコンテンツが豊富にあることに 気付かされる。 ちょうど最初の緊急事態宣言が発令される前の 2020 年 3月、島根県出雲のアートと伝統をテーマ にキュレートされたFAMツアーに参加させて頂いた。 手錢家に伝わる江戸時代の文献から読み解く献立を 再現し、蔵に眠る当時の食器で頂くディナーや、数々 の藩主が立ち寄った本陣、不昧公お抱えの窯元や 作家のアトリエを訪ねるなど、キュレーターなしでは訪 ね得ない唯一無二のツアーであった。出雲の魅力は 神話と長い歴史の延長線上に今日の日常があること である。今でも続く豊かな生活風習に触れることが できるところこそが真のラグジュアリーであると実感し た。 そもそもこの国は世界で二番目に気候災害の多い 国とされている。大震災、台風、噴火、雪害など昨 日までの日常を一瞬で奪われるような経験を繰り返し してきている日本人には、変わらない今日が来ること 自体が奇跡であり満ち足りている日常だと思える。そ んな中で今も残るモノやコトを訪ねるのは、世界にあ るそれとはワケが違う。こういう「奇跡」の情景や日 常をその土地の長い歴史と紐付け体験してもらうこと こそが、日本がこれから発信していくべきラグジュアリー トラベルのあり方ではないかと考える。 こういう考えを巡らし、私が改めて思うラグジュアリー とは、時間の流れとともにその魅力が増したものや、 その土地に根差し愛されてきたものに触れた時に感じ る「心の充足感から得られる豊かさ」である、と締め くくりたい。

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